個々の話題を貫くものが弱い
(2008-02-21)
メディアが官僚や検察起源の情報を無批判にたれん流していること、メディア自身の利害のためにニュースを取捨選択している事実を告発した書だ。取り上げられている話題は、共同通信と北朝鮮の関係、耐震偽装事件の特捜とメディアの暴走(実際は姉歯の単独犯であった)、ライブドア−村上事件の同様な事態、NHKと朝日新聞で争われた『女性法廷』事件での朝日新聞の腰砕け、などが扱ってある。著者はその原因が、記者クラブ制や客観報道主義、新聞の記者に対する締め付けなどであると述べている。
それぞれの事件の見方として、それなりに面白かったが、個々の事件はかなり様相は異なり、全体としてはまとまりなく感じた。私としては、メディアと警察・検察権力が結びついた倫理の押し売りと、法治主義の崩壊に焦点を当てて欲しかった。わが国のメディアの病理が一番現れているのだから。
事実を見えにくくする構造
(2008-02-11)
本書を読んで一番痛感したことは、事件の全体像を私がいかに知らないか、である。ライブドアや耐震データ偽装事件などで、メディアの報道が沈静化した後に出てきた事実からは、当初とは違った事件の輪郭が見えてくるのだが、既存メディアは自らが形作ってしまった事件像を訂正し、新たな全体像を示すようなことをしない。
しかし、それはメディアだけの問題ではない。広告代理店や検察、最高裁までもがそこに関与しているである。その構造を本書は明らかにしているが、再構築するのは難しそうである。
断片的な情報を繋ぎ合わせて事実を明らかにして行く作業の担い手は、本著者のような存在を除いて、今のところいないようである。したがって、既存メディアの報道に対しては、本書で明らかにされた構造上にあることを踏まえて接することが、現時点における最良の策と思い至った次第である。
普遍のテーマ
(2008-01-15)
政治とメディアの関係については多くの執筆家が提言してきている。この著者は共同通信で働いていた記者。したがって内部事情を踏まえた上での提言になっているぶん完全第三者的な発言よりも重みがある。姉歯事件についての考察が、マスコミ報道にはない切り口で参考になった。責任は誰にあるのか?これが日本の抱える様々な社会問題の主要テーマなのである。
アタマの栄養の中身
(2007-10-29)
ニュースと食べ物は、どのように作られているか気をつけた方がよい。アタマの栄養と体の栄養である。気づかないうちにとんでもないものを食べさせられている可能性がある。
既成メディアが、官僚や政治家にいかに寄り添って記事を著しているかということを全体にわたって取り上げている。特に、共同通信が安倍元首相と暴力団とのつながりの報道を、「自主規制」した冒頭のエピソードが印象に残る。魚住さんが言うには、共同通信は平壌支局を当時のどのメディアにもさきがけて開設する時期で、時の政権を刺激したくなかったらしい。
大手メディアというのは、自分たちは消費者・視聴者のためにニュースを流しているという姿勢を強調しがちである(気がする)。しかし、著者によれば、大手メディアの記事の9割くらいは記者クラブでの談話などの当局発表の単なる焼き直しであり、政府の広報等とあまりかわりがない。裁判官制度を新聞が一部の新聞がおかしなくらい後押ししているように読めるのは、錯覚ではない。
記事も食べ物も、消費者の方を見て料理して欲しいものである。段ボールの入った肉まん食べてた方がましかもしれない。いちおう繊維質だし。便秘にはいいかも。
もう一歩の深みがあれば
(2007-09-26)
巻頭でいきなり、<安倍(前)首相と暴力団にまつわるスクープ>が封殺されたくだりから始まる。ここで一気に引き込まれてしまう。本の作りとして非常に上手だ。
そこから耐震偽装事件、「タウンミーティング」やらせ事件などの事例を追いかける事で、
1 官庁は取材ソースとして質・量ともに圧倒的に重要で、構造的に対立しづらいこと
2 メディアは広告収入の少なくない部分を広報(=官庁の出稿)に依存していること
という、官僚がメディア操作を可能にするポイントを、鮮やかに書き出している。
しかしながら、かの名著「渡邊恒雄〜メディアと権力」や「野中広務〜差別と権力」をものした魚住氏の真骨頂である、取材対象に粘りつくような「スクープ」の面白みは(本書の性格上当然だが)この新書には無い。また、メディアの病理というテーマについて知るならば、正直、他に優れたものがある。このテーマの鍵になるような人物(そんなのがいるとすればだが)にグイグイ迫っていくさまを垣間見れたら、また違った読後感になったと思うのだが・・。
魚住氏の著作にはじめて触れる方は、ぜひ他の作品から読んで頂くのがベターと感じる。