陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人 (集英社新書 457D) (集英社新書)
もし、吉田久が現代の裁判官だったらどうなるのだろうか
(2008-10-25)
サブタイトルに「東條英機と闘った裁判官」とあるが、この本の主人公である裁判官吉田久は自ら望んで東条と闘ったわけではない。彼が厳として貫こうとした「司法の独立」そして「法律の厳格な適用による公正な判決行為」が、当時の東條内閣が目指すものと相容れなかったため、結果的に闘うことになったのである。さらに東條内閣=日本なのであるから、実質的に吉田は国を相手に闘い司法の独立を守ろうとしたことになる。
当時の状況を考えればこれは凄いことだと思う。彼が今の時代に生きる裁判官だった場合を考えてみた。
現代社会において、国が被告となる事件を裁くことはあっても、裁判官が生死をかけて国家と対立する場面は考えられない。
しかし、殺人事件などであれば彼の判決は想像できないでもない。例えば、ある事件において被害者以外の人達(=マスコミといってもいいが)が考える量刑が軽い場合、その裁判官に浴びせられる言葉は「被害者感情を考えていない」「裁判官の常識は一般国民からずれている」といったものだが、吉田はこの言葉を浴びせられる裁判官になる可能性があるのでは、と考えるのである。当時の吉田の判決は間違いなく“空気の読めない”判決であったはずだ。
裁判員制度が導入される理由として、一般市民の意見(これは常識という言葉にも言い換えることができる)を取り入れるためという考えがあるが、個人的には首を捻ってしまう。なぜなら、裁判所は“立法府”ではなく立法府によって成立する法律を“厳格”に“慎重”に解釈して判決を下す場所だからである。
被害者感情に基づけば、当然犯人に対して厳罰化を望むのは当然である。しかし、それを同じくマスコミが被害者感情にのみ根拠を得て、判決を空気が読めないと批判するのは間違いであると思う。吉田久という人間の行動に素直に感動すると同時に、彼が現代に生きる裁判官だったらということを考えずにはいられなかった。
こんな人がいたのか
(2008-09-27)
こんな人がいたのか、というのが最初の驚きでした。当時の社会の空気というものは、実際に体験したわけではありませんが、言いたいことが言えない、言えば憲兵や特高警察にしょっ引かれるかなりたいへんな世の中だったでしょう。吉田久の判決は気骨どころかまさに命がけのことだったと思います。しかし、命がけながら裁判官として、たんたんと気負い無く、訴訟に対して丁寧に証言と証拠と法律に照らして当該選挙区の選挙の無効を判決したことが分かりました。ごく一部の人は知っていても、一般に知られていない吉田久。司法の独立を守った大津事件の大審院長・児島惟謙のことは、私の高校時代の教科書に載っていたと思いますからある程度知られていますが、それとに勝るとも劣らない、司法の独立を表した意義ある判決だったと思います。それを掘り起こし、その裁判官に迫った良書です。たいへん勉強になりました。著者はNHK記者ですし、そのうち番組「その時、歴史が動いた」に取り上げてくれないかな。
歴史を通じて現代の偏向報道への注意喚起
(2008-09-25)
著者はNHKの記者で、そのためか、小説にありがちな劇的なタッチでは書かれていない。どちらかというと、事実を積み重ねるアナリストのレポートのような筆致です。静かに、少しずつ内容に引き込まれていきます。そして事実だけが持つ重さ、感動を与えてくれます。こんなことが二度とあってはならない、と思わせる内容です。特に、マスコミと政治の距離感がおかしくなっている昨今、過去の悲劇をしっかりもう一度見つめなおす必要が今の日本にはあるのではないでしょうか。