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裁判官の横着―サボる「法の番人」たち (中公新書ラクレ)


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  • 井上 薫
  • 中央公論新社
  • グループ:Book
  • ランキング:259966
  • 価格:¥ 756
  • ポイント:7 pt
  • 発売日:2008-10
  • 通常24時間以内に発送
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カスタマーレビュー 総合評価:

自身が再任拒否されてるのに、何故裁判官は独立していないと書かないのか  (2008-11-22)
 和解を勧める、現地検証をしない、頷ける例はあり、それは題名通りだが、そうでない例を無理に当てはめている部分もある。
 
 例えば、著者は建前の司法の独立を言うが、和解の項では上訴されるような判決を書けば人事評価が悪くなるのではないか、裁判官訴追委員会に訴追請求されるのではないかと危惧しているとも書く。
 そのくせ判事3号俸以上の昇給における差別、10年に一度の再任制度に伴う任地・配属差別との本質的問題には触れていない。

 また蛇足判決について、名古屋高裁の自衛隊イラク派遣が違憲かどうかの判決で、主文では棄却しているにもかかわらず、理由で国が自衛隊をイラク派遣したことは、憲法9条に違反すると書いたものと、民事事件で、発生20年後の殺人事件賠償請求で、殺人は認定したが消滅時効にかかるので請求棄却したものとを、同一例として取り上げるが、この二つを同一視するのは飛躍に過ぎる。

 前者は、主文を(事情判決を含めても)、前述の人事評価などの問題もあり、違憲とできない判事のせめてもの対抗、又は良心の例であるが、後者は、刑事裁判との事実認定についての齟齬であり、裁判官の独立を示す例だからだ。

 ちなみに後者では、筆者は加害者側に立つが、民事・刑事時効成立後提訴するのは、被害者遺族が真実を知りたくて提訴したと考えられ(そもそも数量的に明らかに不適法で、実質審議に入らずに却下されないのか?)、加害者とされた人が、民事訴訟で人殺しと認定されても、刑法上は無実であり、にも関わらずクビにした会社へ損害賠償と復職を求めて民事で、又は国家賠償請求訴訟(裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて、これを行使したものと認めうるような特別な事情があるとは認定されず、敗訴するだろうが)の提起を示すべきではないか。

 これらの点により、☆3つ減点とした。

諸悪の根源は最高裁判所事務総局  (2008-11-13)
最近、この種の裁判官批判を書きまくっている井上薫氏。その見解すべてに同意するわけではないし、じっさい井上氏と意見の相違を来たすことも少なくないんだけれど、しかし、ぜひ頑張って、せっせと書いて欲しいね、議論を巻き起こすために。
裁判の原告や被告を自分がやってみて、本書が記す通り、日本の裁判官の知的レベルには、かなり問題が多いと思い知らされた。
いちおう法学部出身だが、ただし政治学科だし、大学時代は、もっぱら経済や政治のほうに関心があって、単位を落とさない程度にしか法律や裁判は勉強していない。が、それでも基礎基本の一通りは理解したつもり。そうした眼から見て、日本の裁判官たちの知的レベルの問題は、根底的には、最高裁事務総局の人事管理なり裁判所行政のあり方の問題だと断言できる。
来年には刑事事件の司法判断に民間人も参加する裁判員制度が開始される。半歩ていどの前進だと評価するに吝かではないけれども、しかし小手先だけの改革に終わって、本質的な司法改革には繋がらないだろうと思うね。
日本国最高裁判所というのは最終的な司法判断を確定する判決高権を保障されている存在なのに、それでもなお不足とばかり、きわめて中央集権的な裁判所行政権まで握っている。そのために裁判官といえども、日本では官僚組織の一員たるにすぎず、結局は人事権を掌握する最高裁事務総局の顔色を覗いながら判決を書くということになる。事務総局に睨まれたが最後、本書の著者、井上薫氏のように、無理矢理に実質退官させられてしまうか、でなければ地方の家裁判事あたりに飛ばされるのを覚悟するしかなくなる。司法判断権とは別に、実際は強力な裁判所行政権を手中にした事務総局が、裁判官の独立を妨げているというのが本当のところ。
従って、国民の手に司法を取り戻す改革とは、すなわち最高裁事務総局解体をめざすということにほかならない。
しかし果たして、そんなことが出来るのか?
理論的には簡単だ。裁判所行政を地方自治体に任せてしまうのだ。
欧米諸国を見て廻った経験のある方ならご存知だと思う。ちょっとした規模の市には必ず裁判所があり、それ以下の小規模町村自治体にも巡回裁判所がある。つまり初審裁判所(現・地方裁判所)の運営は市町村に任せる。控訴審裁判所(現・高等裁判所)は都道府県に任せる。最高裁判所の権能は、国家高権としての上告審判決権に限定する。その国の最高裁が判例でもって初審、控訴審の判断を拘束するのは当然のことであり、世界中どこでも変わりはしないが、行政権なかんずく人事権でもって、現在のように強固な中央集権的支配を実現しているのは、独裁・専制国家ならいざ知らず、先進国では、おそらく日本だけではないだろうか。
新たに市町村裁判所を設けると言ったって、現在の地裁支部や簡裁の建物を利用すれば、たいして費用は要らないし、巡回裁判所のレベルなら、地方議会の議事室を少し改造するだけで法廷として使える。だいたい市町村議会なんて1年間に40日ほどしか使われてないので、週に2日ていどを裁判に転用したって日程調整に困難を来たすなんてことはあり得ない。諸外国でもシティーホールの建物に初審裁判所が同居している例は多い。
重ねて言いたい。
司法の独立を全うし、国民の手に裁判を取り戻すためには、まず手を付けるべきは、最高裁事務総局に巣食っている裁判所官僚に支配された現在の中央集権的裁判所行政体制を解体してしまうことだ、と。

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